2007年2月6日火曜日

閲覧制限をかけられた「山谷真少佐へのコメント」

救世軍所属の一牧師、山谷真少佐が、自身のブログでオンライン新聞「クリスチャントゥデイ」とその記者の実名を明記し、彼らが統一協会、果てはカルトの信仰をもつのではという疑惑を公表して早半年近くになる。

先日、この山谷氏の管理するブログ「Major Mak's Diary」に設置されていたある掲示板に私が書き込みをしたところ、どうしたわけか、掲示板がなくなっていた。いったいどうしたことだろうと思っていると、なぜか山谷氏のコメントとともに掲示板が閲覧できるようになり、再び元に戻っていた。

自ら「クリスチャントゥデイの疑惑」について討論すると自身の掲示板にタイトルをつけながら、山谷氏は管理者の権利を乱用し、それに関連するある特定のコメントを一時的にでも閲覧制限し、自由な議論を阻もうとした。

これ以上不当な処置をとられないため、ここに、山谷氏のブログに私が掲載したコメントを掲載する。

まずは、2月5日に掲載したコメントから。

以下引用。

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以前、SolaGratiaという名前で投稿した者です。私自身がブログを作って意義を申し立てる前に、一時的にこちらに投稿いたします。

やっと冷静さを取り戻して真実を見定めようとなさり始めたとお見受けします。ここで述べることにより山谷先生のお役に立てれば幸福です。

①自称「再臨のキリスト」説

K氏のノートの解釈はムネの日記(http://only-jesus.blogspot.com/)で説明がなされたのでしょう。個人の信仰告白を否定する山谷先生の姿勢に疑問を感じます。K氏はムネの日記で少なくとも2点、すなわち、山谷先生の問題視している箇所が異端対策の講義であって献身前の最終講義などではないこと、そして、K氏ご自身がイエス様だけをキリストとして信じ続けていることを告白しています。この告白が真実であることをわれわれの神だけがご存知であって、K氏の上に臨んだ救いのみわざを否定する山谷先生は、その手段や論理にかかわらず、聖霊を汚していることにならないでしょうか。

山谷先生が引用なさる「リック・ロス」の掲示板ですが、山谷先生がこちらのブログで議論を起こされていたのと同じ時期に「リック・ロス」で騒ぎ立てていた人たちは、いつの間にか消え去ってしまいました。犯人が誰だったかというと、山谷先生が最も忌み嫌う異端の関係者でした。別のウェブサイトにあった投稿も削除されてしまっています。掲載しておくには余りにも大きな問題が発生した、と考えざるを得ません。山谷先生は削除された投稿のキャッシュをわざわざ見つけ出してきて保管し、和訳して掲載までなさっていますが、いったいどういうおつもりなのでしょう。しかし、一方では、掲載されていた一連のウェブサイト自体に問題があるということを山谷先生ご自身も認めておられるようで、感謝です。

残された問題は「脱会者」についてですが、本当に「脱会者」がいるのでしょうか。または、本当に「脱会者」なのでしょうか。この論争を見守る私を含め、山谷先生を除く人々は「脱会者証言」の信憑性をどうすれば確かめることができるのでしょうか。「おそらくそうだろう」「そうだと思われる」という程度ではないのですか。というのは、事実誤認や誹謗中傷というものの多くがこのような論調でなされるからです。信憑性を確保するためには、最低限、どこの教会にいつごろ行き始め、いつ脱会したのか、などの事実関係を明かすべきではないでしょうか。そのような情報もないままでは、山谷先生のご主張に沿うことばかりをべらべらと話す「証言者」の証言は説得力に欠けます。そうすると、「自称キリスト」疑惑を唱えるのは山谷先生お一人だけではないでしょうか。

ここでひとつ、山谷先生によるK氏のノートの解釈で腑に落ちない点を指摘せねばなりません。自分を再臨のキリストだと自認する人が、文鮮明をメシアだとも信じていたのでしょうか。再臨のキリストが2人いるなどと教える教会など存在し得るのでしょうか。

山谷先生ご自身が論理の欠陥にお気づきであるはずなのに、なぜこのような主張を続けられるのでしょう。個人の信仰告白を否定するにとどまらず、ご自分の主張に沿うように事実を歪曲し、事実であるかのように文章を操ってインターネットに掲載し、風評を操作しようとする行為こそ問題の元凶だったではありませんか。山谷先生のなさっていることは神から出ているとお思いですか。どうぞ神より前にご自身を立てようとなさりませぬよう。

②統一協会関連説

少なくとも現在、山谷先生は、クリスチャントゥデイが統一協会と関係ないことを認識されているはずです。この件は、まず、山谷先生が謝罪の意を示すべきです。さもないと、この問題は山谷先生ご自身の重荷としていつまでも重く圧し掛かるでしょう。

JEAが3年ほど前に出したクリスチャントゥデイに関する報告書も、事実と異なっていることを山谷先生はご存知のはずです。当時から現在に至るまで、クリスチャントゥデイの記者たちは耐え忍び、福音伝播の働きを継続しているでしょう。それならまず、その信仰を評価すべきではありませんか。

以前本社があった建物の名前が「松涛」で、統一協会となじみの深い地名であることから、一部の方々が疑念を抱き、周囲に広めてしまったと聞いております。その方々はいま現在、どこに姿をくらませてしまったのでしょうね。いまとなっては、その疑念は間違いであったことが明らかになっています。山谷先生が主にある兄弟姉妹を「疑う」動機は、果たして神の真実さに根ざしているでしょうか。

③統一協会前歴説

30年もの月日を辿る必要がありますが、論点は非常に明確です。山谷先生にも、今までお気づきにならなかった事が見えてくるでしょう。

統一協会は創設当初、韓国のキリスト教のひとつの分派でしたね。彼らはエキュメニカルを標榜していましたが、やがて聖書を捨て、賛美歌を捨て、十字架を捨て、イエス・キリストを捨てて、異端というよりは異教の社会団体となってしまいました。

つまり、彼らは善から悪へと変質したのです。当初からそこに所属していた、キリスト教の正統派信仰をもつ人々は、母体組織が変質していく過渡期にあってもそこにいたわけで、そのような「古参」の指導者の中には外郭団体の幹部クラスを歴任した人々も当然含まれるでしょう。そして、やがて母体に見切りをつけて関係を解消した人も当然いたでしょう。とても懸命な判断であったといえます。

張師本人が、韓国基督教総連合会異端えせ対策委員会に提出した「悔い改めの覚書」は統一協会の信仰を悔い改めたものではない、とはっきりと主張するなら、それが正しいのでしょう。

何よりも、張師本人が統一協会の外郭団体で働いていた際、統一協会の信徒たちがイエス・キリストを捨てようとし始めていたときに、張師が彼らを伝道し、どうにかして福音に立ち返らせようと尽力されていたことが確認されました。証拠をお求めになるでしょうが、いましばらくお待ちになれば大々的に発表されるでしょう。山谷先生はそのときが来るまでお待ちになるおつもりでしょうか。果たしてそれがキリスト教のいち教師として賢いご選択か、先生ご自身がお分かりのはずです。

山谷先生は、張牧師がイエス・キリストを捨てたと主張されますが、その根拠はどこにあるのですか。現在は異端と成り果てた統一協会から持ち出した証拠をもって、福音主義の組織神学教授をも務める牧師の信仰や前歴を批判するようなことは、もはや通用しません。異端が自団体を自画自賛するために作成した資料に絶大な信頼を寄せておられますが、そのような姿勢にキリスト者としてただあ然とするばかりです。ご自身のディベートの危険性にお気づきいただけないでしょうか。

好んで事実を歪曲するのは、山谷先生が最も忌避なさる異端のすることでしょう。山谷先生ご自身が近づくことも対話しようともなさらない異端ではありませんか。

山谷先生は、なぜ依然として韓国誌『現代宗教』の記事を強調なさるのでしょう。韓国では異端を批判する雑誌として著名なこの雑誌が、30年という長い歴史の中で異例の謝罪文と訂正記事を掲載したという事実の重みをまだお気づきにならないのですか。ちなみに、当該記事の内容が事実誤認であることを知った方々は、その記事を元に書いた文章を相次いで削除しています。

山谷先生は、私が述べていることを全てご存知であるにもかかわらず、当該記事の正当性を主張されていますが、これほど異常なまでに執着される先生の姿勢に疑問を感じざるを得ません。

山谷先生はこのように主張されていましたね。すなわち、訂正前の記事にある「ハンビット宣教会」が大学生宣教団体「CEF」の前身であると。「CEF」は、オーストラリアで最大のサザン・クロス・カレッジがインターネットで提供するオンライン神学校のために設立された大学生宣教団体です。「CEF」が「ハンビット宣教会」という正体不明の団体を前身としているとは考え難いでしょう。『現代宗教』の訂正記事では、「ハンビット宣教会」という名前の宣教会自体が存在しなかった、とはっきり記しています。

訂正記事に記されている「証言者」がどこに戻っていったかを教えてさしあげましょう。彼らは、大韓イエス教長老教会・合同福音教団の所属教会に戻っていったのです。その教会では、異端の中で苦しみ傷ついたこころに福音の光がさしこみ、イエス様の愛によって彼らの傷は癒やされました。彼らは、合同福音教団の諸教会で健全な信仰生活を定着させていったのです。

また、事実、宣教団体「ACM」、「YD」は日本に存在していません。「実態がない」というのは正しい言葉です。実態が無かったのだから、その被害も当然皆無であるということです。

保護されるべきは、証言台に立つ気の無い証人だけではありません。このような非難を受けいている当事者たちの名誉、魂の苦痛こそ、保護されるべき重要な問題ではありませんか。

④「社会的逸脱」について

賃金や労働搾取の問題についてですが、やはり山谷先生は、だれが、どこで、いつ労働を搾取されたのかなど事実関係をお話になれないご様子なので、先生の一方的な言いがかりであると考えられます。客観的な証拠を提示できないとは、いったい山谷先生の主張は何を根拠としているのでしょう。証言台に立つ気の無い証人の証言なのでしょうか。これは明らかに名誉毀損にあたります。また、保障できない証言をブログ上で書き連ねる行為は、もはや表現の自由を逸脱した明らかな扇動であり道理に反しています。

会談の内容を録音し、ネット上で当然のように公開されていますが、山谷先生は同席者の同意を得ておられるのでしょうか。万が一、事前に確認もせず勝手に公開しているのであれば、それは大きな過ちです。

山谷先生の言動を見ておりますと、不可解な部分が随所に見られます。対話を避けられるのはいったいどうしてでしょう。それが福音派のいち教職者のとるべき態度でしょうか。兎に角、重要なのは「視点」です。その人の人格は、言葉ではなく、その人の採る選択肢、生き方に自然と反映するものです。

箴言26章4-5節、ネヘミヤ書6章、これらの聖句を黙想しながら、本文章を作成しました。

山谷先生のこれからのお働きに少なからぬ期待を寄せると共に、父なる神の御恵みが先生と共にありますよう、お祈りを申し上げます。